お食い初めと家の行事で見えてきた|今の住まいに感じた小さなモヤモヤの正体
こんなことで悩んでいませんか。
お食い初めの準備をしていると、テーブルが狭い、動線が重なる、親を呼ぶと居場所がない。お祝いのはずなのに、なぜか家の使いづらさばかりが気になってしまう。
私自身、子どものお食い初めを家で行ったとき、ふと「この家、今の家族に合っているのかな」と立ち止まりました。
ここでは、行事をきっかけに見えてくる住まいの違和感を、無理に結論づけず整理していきます。読後に、気持ちと考えが少し整うことを目指しています。
お食い初めは「家の不便さ」が見えやすい行事
お食い初めは、準備から当日まで思っている以上に気を配る場面が多い行事です。料理を温め直すタイミング、器の並べ方、赤ちゃんの姿勢や安全、そして「今しかない」と思ってしまう写真撮影。
一つひとつは些細なことでも、それが同時に重なることで、家の中の動きづらさが浮かび上がってきます。
私の家でも、配膳のたびに人がすれ違い、キッチンとリビングの行き来が何度も止まりました。赤ちゃん用の椅子をどこに置くか決まらず、少し動かすたびにテーブルとの距離や通路の狭さが気になります。
普段の生活では「まあ大丈夫」と流していた部分が、「今は大丈夫じゃないかも」と感じられた瞬間でした。
特に印象に残っているのは、写真を撮ろうとしたときです。後ろに下がるスペースが足りず、壁に背中が当たる。少し角度を変えようとすると、今度は配膳中の家族とぶつかりそうになる。
祝いの場なのに、どこか落ち着かず、頭の中で常に「次に気をつけること」を探している感覚がありました。
こうした違和感は、「狭い家だから」「間取りが悪いから」と単純に片づけられるものではありません。
子どもが生まれ、家族の動きが変わったことで、住まいの使われ方も変化しているだけの場合が多いと感じます。
行事は、日常では見えにくい住まいの“今の状態”を、そっと照らし出してくれる時間でもあります。
この気づきは、決してネガティブなものではありません。「うまくできなかった」という反省よりも、「今の暮らしには、こういう負荷がかかるんだ」と知る機会だったと思っています。
お食い初めという一度きりの行事だからこそ、普段は意識しない家のクセや限界に、静かに目が向くのかもしれません。
「家でやる」と決めたからこそ感じた違和感
外食や仕出しを選べば、準備や片付けの負担はかなり減ったと思います。それでも「家でやろう」と決めたのは、慌ただしさよりも、落ち着いた空気の中で家族の時間を残したかったからでした。赤ちゃんの表情や、親の何気ない会話も含めて、その日の空気ごと覚えておきたい。そんな気持ちが強かったのだと思います。
ところが実際に準備を始めてみると、想像以上に手が止まりました。収納の奥にある器を出すのに時間がかかり、出したら出したで置き場に困る。キッチンでは二人同時に立つと身動きが取りづらく、自然と一人が待つ形になります。
「広さが足りない」というより、「同じ場所にやることが集中している」感覚に近いものでした。
準備中、何度か「もう少しだけ余裕があれば」と思いました。ただ、その気持ちは家そのものへの不満というより、「今の暮らし方に対して、家が少し追いついていない」ような違和感だった気がします。
宅建士として見ると、間取りは図面上の良し悪しよりも、家族構成や生活リズムとの相性が大きく影響します。夫婦二人のときに心地よかった家が、子どもを迎えた途端に窮屈に感じることは、決して珍しくありません。
今の家が悪いのではなく、家族の形と動き方が変わっただけかもしれません。
この視点に立つと、少し気持ちが落ち着きました。「選択を間違えた」という話ではなく、「次の段階に入った」という捉え方もできるからです。
家でやると決めたからこそ見えた違和感は、後悔ではなく、これからを考えるための材料だったのだと思います。今すぐ何かを変えなくても、その気づきがあるだけで、住まいとの向き合い方は少し変わってくるように感じています。
親を招いたときに気づく「余白」の問題
お食い初めでは、祖父母を招く家庭も少なくありません。いざ人数が増えると、椅子が足りるか、どこに座ってもらうか、上着やバッグをどこに置くかといったことが、次々と頭に浮かびます。
普段は家族だけで完結している空間だからこそ、人が増えた瞬間に「想定していなかったこと」が一気に表に出てきます。
私自身も、祖父母に来てもらったとき、座る位置を決めるのに思った以上に時間がかかりました。誰かを端に寄せると動線が塞がり、少しずらすと今度は赤ちゃんのそばが落ち着かない。
荷物の置き場も決まらず、結果的にリビングの一角が物で埋まり、視界がごちゃついてしまいました。ほんの数時間の出来事でも、気持ちが落ち着かない理由がはっきりと分かりました。
相談を受ける立場としても、「親を呼びたい気持ちはあるけれど、正直ちょっと疲れる」という声は多く聞きます。それは人間関係の問題というより、「家の中に受け止める余白がない」ことへの不安に近いように感じます。
宅建士として見ると、居室の数や広さ以上に大切なのは、一時的に人が増える場面を想像できているかどうかです。日常では十分でも、行事や来客という非日常では、別の視点が求められます。
余白が足りないと、空間だけでなく気持ちにも余裕がなくなりやすいです。
ただし、この気づきは「だから今すぐ家を変えなければならない」という話ではありません。行事の頻度や家族との関係性によって、許容できる範囲はそれぞれ違います。
大切なのは、「なぜ少ししんどく感じたのか」を言葉にしてみること。その整理ができると、次にどうしたいかを考える土台が整ってきます。
引っ越すべきか我慢すべきかの間にある選択肢
住まいに違和感を覚えると、「引っ越したほうがいいのかな」「もう買い替えるしかないのかな」と、大きな決断に気持ちが引っ張られやすいです。特に行事のように“うまく回らなかった日”の直後は、家全体が合っていないように感じてしまうこともあります。
でも、そこでいきなり結論を出す必要はありません。住まいの悩みは、白か黒かで片づけるより、間にある調整の余地を探すほうが心がラクになることが多いと感じます。
たとえば、まず取り組みやすいのは家具配置の見直しです。テーブルの向きを変える、通路を確保する、赤ちゃんの椅子の定位置を決める。それだけでも「当日のぶつかりやすさ」や「動線の詰まり」が減ることがあります。
私自身、普段は気にならなかった棚やワゴンが、行事の日には“渋滞の原因”になっていたことに後から気づきました。配置を少し変えただけで、同じ部屋でも空気が変わったのが不思議でした。
次に、行事の一部を外注する選択肢もあります。全部を頑張るのではなく、料理は仕出しやテイクアウトにする、写真は家族に一枚だけお願いする、飾り付けは最低限にする。
「家でやりたい」を守りながら負担を軽くできるやり方は意外と多いです。完璧なお祝いより、落ち着いて赤ちゃんを見守れる時間のほうが、あとから思い出として残ることもあります。
祖父母を呼ぶ頻度や形を調整するのも、立派な選択肢です。毎回家に招くのが負担なら、短時間だけ来てもらう、別日にゆっくり会う、外で食事をしてから家で写真だけ撮る。
呼ぶか呼ばないかの二択ではなく、「どの形なら無理が少ないか」を探すほうが、関係も気持ちも守りやすいと感じます。
そしてもう一つ大事なのは、違和感を“家の問題”としてだけ見ないことです。赤ちゃんの成長、睡眠不足、行事へのプレッシャー。そうした要素が重なると、普段なら流せる小さな不便さが大きく見えることがあります。
だからこそ、少し落ち着いたタイミングで「何が一番しんどかったのか」を振り返ることが、判断の質を上げてくれます。
住まいの選択は、大きな決断より前に“試せる小さな改善”を挟んでも大丈夫です。
引っ越す、買う、我慢する。どれも間違いではありません。ただ、その前に、手をつけやすい調整を一つだけ試してみる。
そうすると、「この家でもいけそう」「やっぱり限界があるかも」という感覚が、少しずつ現実的な形で見えてきます。焦って決めなくても、遅くはありません。気持ちが整ってからで十分です。
「使いづらさ」は気づいた時点で価値がある
お食い初めを終えたあと、家に対する見方が少し変わりました。大きな不満があったわけではありません。ただ、「何となく落ち着かなかった理由」が、少しずつ言葉にできるようになった感覚です。
それは家へのダメ出しではなく、今の暮らしとの間にある小さなズレに気づけた、という表現のほうが近いと思います。
行事の最中は余裕がなく、違和感をじっくり考える暇はありません。でも、終わって一息ついたときに、「あの場面が一番大変だったな」「ここで少し焦ったな」と振り返ることで、使いづらさの正体が輪郭を持ちはじめます。
この振り返りの時間があるかどうかで、住まいとの向き合い方は大きく変わるように感じます。
違和感に名前をつける、というのは、たとえば「狭い」ではなく「人が集まると動線が重なる」「物の置き場が一時的に足りなくなる」といった具体化です。
そうすると、不安は漠然としたものではなくなり、「何を大切にしたいのか」「どこまでなら許容できるのか」という判断軸が見えてきます。
相談を受ける中でも、「なんとなくモヤモヤしている状態」が一番つらいと感じている方が多いです。理由が分からないままでは、引っ越しも我慢も決めきれません。
反対に、ズレの中身が分かると、すぐに答えを出さなくても落ち着いて考えられるようになります。
気づけたこと自体が、これからの選択を支える大切な材料になります。
家は、長く付き合っていく存在です。今感じた使いづらさが、すぐに行動につながらなくても問題ありません。
むしろ、「あのときこう感じた」という記憶が、数年後に住まいを考えるとき、自然と背中を押してくれることがあります。
気づきは、その瞬間に何かを変えなくても、家族にとっての財産として静かに積み重なっていくものだと、私は思っています。
まとめ|お食い初めをきっかけに立ち止まる意味
お食い初めは、赤ちゃんの成長を祝う大切な節目です。同時に、家族の人数や動きが変わった「今の暮らし」を、自然と意識する時間でもあります。準備や当日の慌ただしさの中で感じた小さな違和感は、決してネガティブなものではなく、これからを考えるための合図のようなものだと感じています。
引っ越す、購入する、今の家で工夫しながら暮らす。どの選択にも理由があり、正解は一つではありません。周りの声や一般論に合わせる必要もなく、それぞれの家庭のペースがあっていいと思います。
大切なのは、「なんとなくしんどかった」という感覚をなかったことにしないことです。理由を探し、言葉にしてみるだけで、気持ちは少し落ち着いてきます。
すぐに結論を出さなくても構いません。行事が終わり、日常に戻ってから改めて考えるくらいが、ちょうどいい場合も多いです。時間が経つことで、「あのとき一番気になったのは何だったか」「実は我慢できる部分とできない部分が分かれていた」と見えてくることもあります。
立ち止まって考える時間そのものが、家族と住まいの関係を整える一歩になります。
今日感じた小さな気づきは、すぐに使わなくても大丈夫です。メモに残さなくても、心のどこかに留めておくだけで十分。
いつか住まいについて話し合うとき、迷いが出たとき、その記憶が静かに判断を支えてくれます。お食い初めをきっかけに立ち止まったこと自体が、これからの暮らしを大切に考えている証だと、私は思っています。